靖国はバッテンをつけられて当然です〜反日の会(仮) 日の丸バッテン弾圧、抗議声明

 6月20日朝、「靖国神社に日の丸に×(バツ印)をつけた貼り紙をした」ことをもって、つねのさん( id:toled )さんに対し、家宅捜索が行われました。そして、警察は、生活していくのに必要な身分証、携帯電話、医療をうけるために必要な保険証や障害者手帳、内服薬の説明書、など28点を押収し、さらにその後、 「呼出状」を持参して二度も自宅に押しかけてきました。
詳細→「日の丸バッテン救援会」
警察は靖国抗議への弾圧をやめろ〜日の丸バッテン救援会声明 - 日の丸バッテン救援会 ブログ

 反日の会(仮)は、つねのさんの、靖国神社と「昭和の日」と日の丸に抗議の意思表示をした、その内容と行動を支持します。靖国神社と「昭和の日」と日の丸は、バッテンをつけられなければなりません。つねのさんの意思表示を軽犯罪法違反として犯罪化し、つねのさんと家族に対し心身ともに苦痛を与え、靖国抗議を封じようとしている麹町警察署、並びに警察に捜索令状の許可を出し、やりたい放題させている簡易裁判所(司法)に、強く抗議します。

 これまでも、天皇制、靖国に対する批判の声は潰されようとしてきました。それは、決して「戦前」の話ではありません。ここ1〜2年を振り返っただけでも、天皇の慰問に「帰れ」と遠くから叫んだことで逮捕されたり、「来るな」と書いた小さな布をかかげたことで公安警察につきまといや嫌がらせを受け続けている人々がいます。あの「不敬罪」は途絶えることなく、いつでも私たちの前に姿をあらわします。
にもかかわらず、このような政治弾圧は、特殊なひとの特殊な行動による自業自得、自己責任というこの社会のまなざしによって、いとも簡単に、「普通のひとであるわたしたち」から分断されてしまいます。そうやって「戦前」と「戦後」を切り分け、敗戦後の日本が、あたかも民主主義国家であり「平和な日本」であったかのような幻想をつくりだします。象徴天皇制は戦後の「平和な日本」を演出してきました。しかし、その「平和な日本」と言うのは、何を指し、誰によって認知されているものなのでしょうか。

 再度、振り返りたいと思います。靖国神社は、日本の侵略戦争をひたすら称賛し、加害者を英霊として祀ることで、植民地支配をした国のひとたちのいのちを奪うことを加速させた装置です。そのことを反省することも解体することもなく、靖国は、いまもそのまま、「戦前」と何ひとつ変わらない戦争装置として、いのちを奪い続けようとしています。植民地主義を温存させ、東アジアを敵視し、沖縄を軍事拠点として支配し続けていくために。天皇制は、言うまでもなく。
植民地支配をした朝鮮・台湾のひとたちから、敗戦とともに日本国籍を都合よく奪い抗議の声といのちを消すかのように外登法・入管法によって市民権を奪い、朝鮮のひとたちへの民族教育の権利を奪い、いまなお民族差別と蔑視排除をつづけている日本。沖縄に在日米軍の7割以上を駐留させ沖縄支配を続けている日本。そしていま、「集団的自衛権の行使」という転倒した論理でもって、帝国主義植民地主義の戦争を開始しようとしています。いのちを奪う制度に、装置に、バッテンをつけるのは当然のことです。今、警察も靖国といっしょになって奪うことを続ける、この弾圧を許すことはできません。
警察はつねのさんから奪ったものを返しなさい。それは、靖国神社と「昭和の日」と日の丸に抗議することでしか回復されない、多くのひとたちの尊厳にかかわるものです。
奪 う な !